1月17日の日記
2005年1月17日みんな龍騎好きね。
個人的基準では、真ちゃんは攻めで、たっくんは受けなんで、どっちに共感できるかの問題に過ぎないと思う。(まぁ、555はろくに見てないんで、語る資格があるかわからんが。)そういう意味では、主人公を蓮(受け)と選択的に見れる龍騎の方が分が有るかもな。
キャラクターの問題でいえば、龍騎は「ちゃんと作りすぎ」てる気がする。ストーリーの展開に合うようなキャラクターが登場するんで、キャラクターの行動がいちいち行動原理に適ってて、容易に理解できてしまう。「お話」作りとしては、話が綺麗にまとまりすぎてる印象は持った。
要するにストーリーありきで、キャラクターを作るか、キャラクターありきで話を作るかの違いなのかな?555はよく知らないが、井上御大は後者の手法で話を作るってのが一般的な評価みたいなんで、評価をするにあたっては、後者のやり方の場合(555)には、キャラクターについての配点を、前者(龍騎)はストーリーの配点を重視して考えるべきなのかな、と。もっとも、555キャラクターが龍騎のキャラクターよりも、よかったかどうかは知らんが。ただ、そういう意味では、ストーリーの中核に「願い」=行動原理を持ってきた龍騎は、副次的にいい(わかりやすい)キャラクターを作れる素養がもともとあったとも見れるのかな。お話の中のキャラクターとしては、変にグチャグチャする人間性持たせるよりもわかりやすい方がいいだろうしね。
そういや、むかーし、あかほりさとるが、ラジオだか、小説のあとがきで、初めに場面(クライマックスのシーン)を考えるって言ってたことを思い出してみた。
まぁ、要するにカタルシスを求めたり、理屈で話を「理解」しようとするには、ストーリーを先に作る手法の方が、うまく行くのかもな、という話。
どうでもいいんだけど、最近やたらと「のだめカンタービレ」って名前を見ます。そんなに面白いの?二宮知子って。
って今、調べて見たら、女性誌?とかでも結構紹介されてるのな。
個人的基準では、真ちゃんは攻めで、たっくんは受けなんで、どっちに共感できるかの問題に過ぎないと思う。(まぁ、555はろくに見てないんで、語る資格があるかわからんが。)そういう意味では、主人公を蓮(受け)と選択的に見れる龍騎の方が分が有るかもな。
キャラクターの問題でいえば、龍騎は「ちゃんと作りすぎ」てる気がする。ストーリーの展開に合うようなキャラクターが登場するんで、キャラクターの行動がいちいち行動原理に適ってて、容易に理解できてしまう。「お話」作りとしては、話が綺麗にまとまりすぎてる印象は持った。
要するにストーリーありきで、キャラクターを作るか、キャラクターありきで話を作るかの違いなのかな?555はよく知らないが、井上御大は後者の手法で話を作るってのが一般的な評価みたいなんで、評価をするにあたっては、後者のやり方の場合(555)には、キャラクターについての配点を、前者(龍騎)はストーリーの配点を重視して考えるべきなのかな、と。もっとも、555キャラクターが龍騎のキャラクターよりも、よかったかどうかは知らんが。ただ、そういう意味では、ストーリーの中核に「願い」=行動原理を持ってきた龍騎は、副次的にいい(わかりやすい)キャラクターを作れる素養がもともとあったとも見れるのかな。お話の中のキャラクターとしては、変にグチャグチャする人間性持たせるよりもわかりやすい方がいいだろうしね。
そういや、むかーし、あかほりさとるが、ラジオだか、小説のあとがきで、初めに場面(クライマックスのシーン)を考えるって言ってたことを思い出してみた。
まぁ、要するにカタルシスを求めたり、理屈で話を「理解」しようとするには、ストーリーを先に作る手法の方が、うまく行くのかもな、という話。
どうでもいいんだけど、最近やたらと「のだめカンタービレ」って名前を見ます。そんなに面白いの?二宮知子って。
って今、調べて見たら、女性誌?とかでも結構紹介されてるのな。
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