6月13日の日記

2005年6月13日
週末は何にもしませんでした。勉強しようと思って、学校までは行ったんですが、なんかやたら疲れてて、勉強する気が起こらず、2時間くらいぼーっとして帰りました。

今日の「なぜ私が働きたくないか理論」

そもそも、技術が進歩するのは人間が「楽をする」ためだと思うんですよ。んで、確かに家電の登場で家事は楽になったし、情報のやり取りを密接にすることができるようになったかもしれないけど、実際に「楽」して生きてる人間ってのはあんまりいないわけですよ。すると、「楽」になるための技術はどんどん進んでるのに、一向に暮らしは楽になってないっていう矛盾があるわけですよ。ここで、考えられるのは、「楽」ってものをどう捉えるかってところに帰着するわけですね。これを労働の「程度」の問題として捉えれば、当然このような疑問が発生すると思うんですけど、実際には、労働の「質」の問題として捉えると、肉体労働からデスクワークに移行してて確かに一見「楽」になってるように見えるわけですよ。といっても、夜3時とかまで働いて、7時には出社してる人なんてざらにいるわけですよ。これは実質的に「楽」とはいえないと思うんですよ。とすると、技術の発展により、なにが「進歩」したのか。これは結局の所、人の数(含寿命の長さ)と、人間の行動範囲の広がりと、娯楽の種類くらいしかないではないか、と発想したわけですね。
んで、そうすると、技術の進歩により、労働の「質」が変化し、それによって、「浮いた」エネルギーが、「死ににくくなった」ことと、「娯楽」に割り振られたということになるわけですよ。このように考えないと、自由競争により技術革新を促進させ、より「楽」(合理的)に生きることを模索してきた人類の営みは「失敗した(あるいは破綻していた)」と考えざるを得なくなるわけですよ。
すると、現代においては、個人の労働意欲の根底に「生への執着」と、「娯楽への欲求」とが置かれるわけで、前者は後者によって基礎付けられ得るものと考えると、「娯楽」(楽しく生きる)を有効に活用することが、現代人に与えられた労働の対価ってことになるわけですよ。
で、以上を踏まえて考えると、娯楽を楽しめない奴は、現代人として不適格である、と結論付けるわけです。

ふぅ、今日もすごく適当なこと言って、時間を潰したぞ。まぁ、きっとこれが俺の娯楽なんだろうなぁ。そんなに楽しくないけど。

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